映画『CASSHERN』が訴えるもの 〜戦争の歴史を考える〜
GW最初の日に映画『CASSHERN』を観ました。
毎月1日は映画が1000円で観られる日なんですよね。
で、『CHASSHERN』はちょっと気になっていた映画だったので、このチャンスを逃しちゃいけない! と、ばかりに朝から映画館に向かいました。
(でも、途中大渋滞にはまってしまってわずか10km先の映画館まで2時間もかかってしまい、結局3時からの上映分を観ました。丸一日かかったことになります…)
単純なヒーロー物を想像していたのですが、全然違いました。
昔、タツノコプロのアニメとして製作されていた「キャシャーンがやらなきゃ誰がやる…」の決めゼリフで有名な作品を僕は見たことはあるのですが、記憶には全くなくて、その世界観とかストーリーとかは白紙同然でした。
それがよかったのかもしれません。
『CASSHERN』のHPのBBSなんかをのぞくと、アニメ版との違いについて批判的に書いている声がけっこうあったからです。
でもまぁ、そういうことを言い出せば、「ビートたけしの『座頭市』は昔のと違うからダメだ!』とヒステリックに叫ぶようなもので、リメイクには解釈というものがつきものだし、その設定をちょっと借りただけで、別の何かを表現したい、ということだってあるはずです。
だから、僕は、この『CASSHERN』という映画を非常に肯定的に受け止めています。
2時間20分という長い作品ですが、途中でダレを感じさせない展開になっていて、こういう映画にありがちなつじつまが合わない「矛盾」とかわけのわからない「ナゾ」の放置とかが少なかったように思います。
ストーリーについては、これから観る人もいるだろうからあまりふれないでおきますが、はっきり思ったのは「この映画は、反戦映画である」ということ。
まぁ、そんなことは、観れば誰でも感じることで、「反戦」以外の何ものでもないでしょう。
『CASSHERN』のHPにあった映画紹介を少し引用します。
「人は自我と欲望を持って生きている。
その結果、周囲と摩擦が起き、争いになることも多い。
親子、兄弟、友人、恋人、国家と、対立はあまたに存在する。
規模の大小はあっても争いは絶えたことがない。
それゆえ、人間の歴史は戦いの歴史でもあるのだ。
『人間はなぜ争うのか?』
この重く普遍的なテーマを、エンターティメント性豊かに描き、誰も見たことのない、
それでいて、懐かしい既視感(デジャビュ)を感じさせる映像世界が誕生した。
ここには未体験の世界とドラマがある。」
「人間の歴史は戦いの歴史でもある」「人間はなぜ争うのか」
実に哲学的なテーマです。しかも、哲学的などと悠長なことを言っている場合ではなく、現実問題として、毎日のようにテロや襲撃、爆撃のニュースが伝えられています。
争いは、相手の主張や立場を認められないところからいつも始まります。
戦争というほどの争いでなくても、自分と周囲で最近あった「争い事」を思い出してみてください。
その原因のほとんどは、「自分はこう思うのに、相手はそう思ってくれない」という小さなひずみにあるのではないでしょうか?
そのひずみを是正するために、言葉を尽くして説明しようとします。
でも、それが伝わらないとなると、何が何でも相手に自分の主張をわからせようとエスカレートしていきます。
それがテロであり、やがては戦争へと続いていくことになるのです。
人間の歴史は戦いの歴史、と、断言していいのかどうかは検証を要しますが、世界的に見れば、支配をめぐる戦い、宗教をめぐる戦い、正義を主張する戦い… いろんな大義名分のもとに戦いがくりひろげられてきたことは明白です。
日本の歴史上の争いを見てみると、少なくとも縄文時代には大規模な争いはなかったと考えられています。
これは、出土する遺物に人間を殺傷するために作られた「武器」がないことや、殺されたと思われる人骨が見つかっていないからです。
ところが、紀元前3〜4世紀頃(あるいはもう少し前)になると、中国大陸では戦国時代、そして、秦による国土統一などが行われ、多くの人々が戦乱を逃れようと海を渡って日本列島に上陸したと考えられています。
このことは、縄文人骨と弥生人骨を比較すると、同一の民族ではないということからもはっきりしています。
戦争を経験してきた人々は、戦争を知らない縄文人の集落を襲い、殺したり奴隷にしたりして占領し、各地に「小国」を形成していったのでしょう。
そして、小国同士の対立や抗争がおこり、弥生時代は日本最初の「戦国時代」といってもいいような状況となったわけです。
ムラの周囲に幅6mもある溝を掘った環濠集落や、山の上に集落を作って攻められないようにしている高地性集落の存在が、おだやかではなかった時代を象徴しています。平和な世の中ならそんな防御施設は必要ないはずですから。
中国の史書「後漢書」東夷伝には、2世紀後半に「倭国大乱」が起こっていたことが記されています。
山口県の土井ケ浜遺跡から210余りの弥生人の人骨が発掘されていますが、その中には矢を受けて死んだと思われる人骨や頭蓋骨に石鏃(石でできた矢の先)がそのまま残ったものもあります。
縄文時代に、イノシシやうさぎをつかまえるために作られた弓矢が、弥生時代になると、先につける鏃が大きくなり、明らかに「人を殺すための武器」と変化していることがわかります。
こうして、今から2000年近く昔の時代に海の向こうから戦いがやってきて、日本に住んでいた原住民を従わせ、やがて邪馬台国や大和国家といった大きな「クニ」が誕生していったのでした。
クニができると、周辺への攻撃が始まります。
最初は工具や農具・実用具として使用されていた鉄を人を殺すための武器として利用するようになり、鉄剣や鉄刀が生まれます。
武器の材料として必要な鉄を得るために朝鮮半島に軍勢を送ります。(高句麗好太王碑文より)
日本独自の歴史書が記されるようになり、戦いの記録が文字として残されるようになっていきました。
6世紀には蘇我氏と物部氏の仏教崇拝をめぐる争いが起こり、最後には武力で決着をつけます。蘇我氏が勝って仏教が国をあげて信仰されるようになりますが、仏の教えとは本来そういうものだったのでしょうか?
7世紀になって聖徳太子が登場しますが、その子の山背大兄王は蘇我氏に滅ぼされます。
その蘇我氏を中大兄皇子と中臣鎌足らは大化の改新で滅ぼします。
百済を滅ぼした新羅と唐と戦うために663年、海を渡った倭国軍は大敗します。
おびえるように中大兄皇子は都を琵琶湖のほとりの大津宮に遷し、天智天皇となります。
しかし、その死後、息子の大友皇子と大海人皇子は皇位継承をめぐって、古代最大の戦いといわれる「壬申の乱」をひきおこします。
大海人皇子が勝って天武天皇になりますが、多くの血が流されました。
8世紀、都が奈良に遷され「平城京」が栄えても、その背後で 陰謀や争いは絶えず、長屋王の変、藤原広嗣の乱、橘奈良麻呂の乱、恵美押勝の乱…
そして、「蝦夷」(エミシ)とよばれた東北地方の民衆を服属させ奴隷のようにこき使います。そのため蝦夷との戦いが8世紀後半から9世紀にかけて行われるのです。
征夷大将軍 という武人の大将の称号が誕生するのもこの時代ですが、蝦夷はそこに住んでいるだけで襲われ、移住させられ、奴隷のように働かされたわけです。彼らに何の罪があったでしょう?
それでも、正義は大和朝廷にあり、服属を拒めば征伐されたわけです。
強い立場の者は正義であり、抵抗する者は悪という構図で戦いはくり返されました。
仙台あたりでは、今でも、蝦夷の長であった阿弖流為(アテルイ)を讃える歌が伝えられているといいます。
10世紀になると武装した豪族が地方に現れます。
平将門や藤原純友といった暴れん坊が中央政府に反旗を翻しますが、武力に対してはより強い武力が立ちはだかり、これを鎮圧しました。
11世紀後半から12世紀にかけて地方で武士が台頭し、中央でもその力を利用しようとする貴族が出てきて、政治の争いに武士の力が利用されるようになっていきます。
しかし、やがて武士をコントロールできなくなって、平清盛による平氏政権やそれを倒した源頼朝の鎌倉幕府など、武士によって支配される国家へと変わっていきました。
以来、明治維新まで「武士」が政権を握っていた時代が続きました。
明治になって、役人による政府が実現しますが、これも元々は下級武士がつくった政府ですから武士的な気風は残っていたといえるでしょう。
そして、明治国家の元で成長していく陸軍と海軍は、国力を高揚させ、やがては他国との戦いを通して、自分たちが最強であると過信しはじめるようになります。
もっとも、中には冷静に分析していた軍人もいたでしょうが、軍部の勢いや流れを止めるほどの統率力を持つ者はいなくなり、ブレーキの効かない列車に乗り込んだかのように国を挙げて戦争の時代へと突入していきました。
世界的にも多くの国が争いにまきこまれるという「世界大戦」という動きとなり、結局は、勝った国が負けた国を従わせるという構図が一般化していきます。
日本も太平洋戦争に敗れ、東京裁判で多くの軍人や政治家、兵士が裁かれました。
戦争に勝った国が負けた国を裁くという行為自体、正義といえるのかどうかという疑問を感じた有識者もいましたが、そういう意見は少数意見とされました。
日本もドイツもイタリアも戦争に敗れ、世界の悪は滅んだはずだったのに、それから5年後には朝鮮半島で戦争が起こり、さらに15年後にはベトナム戦争が起こっています。
ひとつの争いが終わるまでに、数え切れないほどの兵士や民間人が命を失い、建物も財産も焼き払われてしまうのに、また、どこかで新しい争いが起こります。
1991年に始まった湾岸戦争。
戦火は収まってもフセイン政権は継続されました。イラクは核兵器など、大量破壊兵器を所持していると疑いをかけられ、アメリカが中心となって攻撃し、フセイン政権は倒れました。
それでも 戦いは終わりません。
「自爆テロ」という言葉が日常的に聞かれる時代です。
これはどう考えても平和な時代ではありませんよね。
こうして2000年近くの歴史をたどってみると、たしかに 人間の歴史は戦いの歴史 というのは空言ではなく真実だといえるでしょう。
『CASSHERN』で2時間20分かけて訴えたかったことは、他者を認めることなくして平和はありえない、ということでした。
争いの行き着く果ては滅亡しかないでしょう。
今の世界が滅亡に結びつかないとはいえないでしょう。
今日よりも明日、もっとおそろしいことが起こるかもしれない…
そういう危機感を抱いたまま生活しているのが「現代」という時代ではないでしょうか?
映画が終わってスクリーンが真っ暗になり、キャストやスタッフのロールが流れるところで宇多田ヒカルによる主題歌「誰かの願いが叶うころ」が流れました。
小さなことで大事なものを失った
冷たい指輪が私に光ってみせた
「今さえあればいい」と言ったけど そうじゃなかった
あなたへ続くドアが音も無く消えた
そう、きっかけはいつだって 小さなこと。
でも、小さな誤解やいさかいが後戻りできなくなって大きな争いへと発展し、なにもかもなくしてしまうほどの大事に発展してしまうのです。
あなたの幸せ願うほど わがままが増えてくよ
あなたは私を引き止めない いつだってそう
誰かの願いが叶うころ あの子が泣いてるよ
みんなの願いは同時には叶わない
この曲を最初に聴いた時、何がいいたいのかよくわかりませんでした。
でも、この映画のために書いたというだけあって、映画の最後に流れるとその表現力は倍増しました。
全然違う感動がそこにありました。
みんなの願いは同時には叶わない
だから戦いはくり返され、自分の願いを叶えるために他者を傷つけてしまうというわけです。
すごく長い文章になってしまいましたが、映画『CASSHERN』を観て、そして、宇多田ヒカルの歌を聴いて、戦争の歴史について考えずにはいられませんでした。
戦争をやめようとしない指導者たちは、戦争の先にどんな未来を見ているのでしょう?
そして、我々にできることは???